福岡の小さなアトリエで、料理教室を開いています。
旅する料理家・フードコーディネーターとして、広告や雑誌の撮影、レシピ開発なども手がけながら、
日々の台所の風景や、旅先での食体験を綴っています。
福岡での料理教室や日々の活動のこと。
ときどき、記憶を旅するような話も交えながら。
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福岡の料理教室 フレンチレッスンの舞台裏。
4月のレッスンが、無事に終わった。
アトリエに春の風が吹いて、春野菜とハーブの香りがふわりと立ちのぼる。
ああ、やっぱり料理っていいなぁと思える時間だった。
今回は、ちょっとだけその舞台裏のことを綴っておこうと思う。
福岡で料理教室 仕込み前夜のドタバタ劇
レッスンは5日間で約40人分。
4月は忙しかったので、いつもの半分の開催に絞ったけれど、それでもなかなかのボリュームだった。
前日はアシスタント総出で、ひたすら仕込み。
私はというと、例によって心配性が炸裂する。
じゃがいもが足りなかったらどうしよう、と多めに買い、
サーモンも「これじゃ小さいかも…」と追加し、
キャロットラペは「これくらい?」と、山のように作ってしまう。
結果、作りすぎ・仕入れすぎでアシスタントたちに叱られる。
「先生、またやりすぎてるよ…」と苦笑されるのは、もう何度目かわからない。
わかってはいるけれど、余るほうが安心する性格なのだ。
「美味しい」のひとことが、すべてを包む
それでも当日、生徒さんたちから「先生のレシピ、家でよく作ってますよ〜」なんて声を聞くと、
ああ、よかった、と思う。
がんばった全部が、ちゃんと届いていたんだなと、静かに思える。
なかでも「これ、美味しいです」と笑顔で言ってもらえたとき。
その瞬間が、きっと一番うれしい。
いろんな段取りがあって、反省点もあって、どっと疲れる日もあるけれど、
やっぱり「おいしい」が届いたとき、すべてが報われる気がする。
おしゃべりが苦手な私の教室で
実はあまりおしゃべりが得意ではない。
聞きたいことがあっても、タイミングを逃してしまったり、
話をふくらませるのがうまくできなかったりする。
それでも、そんな私の教室に通ってくれる人がいる。
そこに甘えすぎず、でも気を張りすぎず、
ただ「料理が好き」という気持ちでつながれる場所でありたいと思っている。
仲良しごっこや、無理な距離感ではなく、
今ここで、作って、食べて、笑う。
それだけで、じゅうぶんにあたたかい。
素材の“いま”を受け入れるということ
最近、よく思うことがある。
たとえば、野菜。
季節や育った場所、その日の天気によって、味も食感も少しずつ違ってくる。
エグみがあったり、水分が多かったり、香りが弱かったり。
料理をする側としては、ついそれを「整えよう」としてしまうけれど、
私はなるべく、そのままの姿で受け止めたいと思っている。
ちょっとえぐみの残った筍。ほんの少し煮足りなかったにんじん。
思っていたより甘くないトマト。
それもまた、今日のひと皿を構成する、たったひとつの“今”の味。
もちろん、無添加であることや素材へのこだわりも大切だと思う。
でも、あまりに“正しさ”や“理想の味”を追いすぎると、料理はとたんに窮屈になる。
「今日はちょっと苦いけど、それもいいね」と笑えるような、
肩の力を抜いて、素材の個性ごとまるっと味わえるような、
そんな食卓が、私は好きだ。
いちばん難しいのは、受け入れること
……なんて言いながら、
本当は、「受け入れること」こそ、いちばん難しいと感じている。
思い通りにならないとき。
失敗したと思うとき。
それをそのまま「これでいい」と認めるのは、やっぱり少し勇気がいる。
料理も、暮らしも、人との関係も。
いつも完璧じゃないし、思い描いた通りにはいかない。
それでも、「まあ、そういう日もあるよね」と、
自分にも相手にも、ちょっとやさしくできたらいいなと思う。
少し苦い葉っぱも、思ったより固かったお肉も、
それをそのまま「今日の味」として、受け取れるような心でいたい。
そんなふうに思う、春の台所だった。
また、台所で。
またすぐ、次のレッスンの準備が始まる。
きっとまた、作りすぎてアシスタントに叱られるのだろうけど。笑
それでも私は、やっぱりこの台所が好きで、
この景色が見たくて、今日もまた、鍋をふるっている。
福岡を拠点にフードコーディネーターとして、料理撮影やレシピ開発など全国対応しています。
広告・雑誌・Web媒体を中心に、撮影現場の盛り付けやスタイリングもお任せください。
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